日々雑記

麦の光

健気さについて

『カラオケ行こ!』を2度観た。

同じところで涙があふれてしまって、どうしてこんなことで泣いているのかも分からなかったけれど、健気、という言葉に辿り着いてからいろいろなことが腑に落ちた。

 

けな-げ【健気】

(ケナリゲの転)

①勇ましいさま。勇健。狂言、棒縛「ーなことでござる」

②しっかりして強いさま。すこやかなさま。健康。蒙求抄(1)「ああーな老者かな」

③殊勝(シュショウ)。天草本金句集「よい主人は智慧ある者を使ひ、ーな者を使ひ」

④(子供など弱い者が)けんめいに努めるさま。「ーに働く」

広辞苑モバイル版より)

 

聡実くんはあの雨の日、初めて狂児に会ったときから、誰にも感じたことのない感情を抱えていて、ふと「愛は与えるもんらしいで」という言葉を聴く。そうして、少しずつ感情が形を持ち始める。心の中のある部分を占めているその感情を、無視できなくなっていく。

 

頭で考えられなくなるほど惹かれるものに出会った時の人の姿ーー。そういうものを見ていると、あまりに健気で胸がいっぱいになる。性別や年齢は関係ない。もちろん男の人同士だから良いわけでもない。男の人と女の人でも、そもそも人ではなく植物や動物に対しての気持ちでも、どんな風でも良い。そのことを考えて、会いたくて、どんなことがあっても隣にいることができて……。そのどうしようもない健気さに、美しい光を感じるのだ。

 

「結婚しようなんて 別れの言葉よりひどい」というのは大島弓子の漫画の台詞だけれど、どれほど幸せそうに描かれていても、「なんだ、結局自分の人生のためなんだ」とツッコみたくなるような「愛」はたくさんある。それが悪いということではないけれど、この映画で描かれている愛は、そういうものとは全然違う。生活のためとか、子どもが欲しいとか、将来のためとか、現実をうまく積み重ねて調整していくことなんてできなくて、ただ突然で、逃れられないものだった。そんな関係は現実的に実を結ぶことはないのかもしれないが(もしかしたら狂児はそのことを知っているのかもしれない)、いちいち振り回されて動揺する聡実くんが美しくて、胸がいっぱいになる。

 

『ファミレス行こ!』の10話も読んだけど、どうなるのかなー。ハッピーエンドでもそうでなくても、まだもう少し、二人の話が読めるのが楽しみ。